大分県
関西と四国の影響を受け、大分県民はやや個人主義的で人間関係主義的です。
特に宇佐神宮の近くでは、占いや「呪術」が行われています。
歴史的には、16世紀にフランシスコ・ザビエルの説教によってキリスト教徒になった人たちが数多くいますが、現在ではほとんどその面影はありません。
47の町村のうち、39には教会が存在しません。信徒の数はここ10年で減少しています。
どうか祈ってください:
"その輝きは光のよう。ひらめきが御手から上り、そこに御力が隠されている。"
ハバクク書 3章4節
鹿児島県
1549年、フランシスコ・ザビエルは日本人にイエスの知識を伝えるために鹿児島に上陸しました。
それから4世紀半、血なまぐさい迫害、混乱、孤立を経て、鹿児島はいまだに福音がほとんど伝わっていません。
おそらく日本で最初にイエスの名を聞いた地域は、まだイエスの名を呼んでいません。
最近の熊本地震は、多くの破壊と損失をもたらしました。
この地震で被害を受けた方々のために、また九州全域の生活について深い疑問を抱いている方々のためにお祈りください。
熊本で起こったことが、九州のすべての県に命をもたらすために用いられますように。
また、以下のためにもお祈りください:
"すべての国々の民よ手をたたけ。喜びの声をもって神に大声で叫べ。
まことにいと高き方主は恐るべき方。全地を治める大いなる王。"
詩篇 47篇1~2節
多くのキリスト者にとって、伝道は尻込みさせてしまうもののようです。福音を分かち合うには知識が足りないという思いや、間違ったことを言う恐れを持ってしまいます。目に見えない社会的な圧力もキリスト者を黙らせます。しかし、福音を分かち合うこと、具現化することはイベントや活動ではなく生き様です。いのちに至る会話、信頼関係の構築、招き続けることという着実なプロセスです。
キリスト者が、小さくても着実に福音を分かち合うことをないがしろにしたり止めたりしないように祈りましょう。イエス様に近づく歩みはどんなものでも重要ですから!
キリスト者が、自分のささやかな努力は何の効果もないと感じるような疑いや失意に陥らないように祈りましょう。キリスト者が人々の人生に福音の種を忠実に蒔き続け、主の喜びを体験するように祈りましょう。
活動範囲が広がり、多くの自由と責任が伴う世代です。この世代にキリストのリバイバルが与えられるように祈りましょう。
Echoというスマートフォン アプリをインストールすることで、リマインダー通知など祈りを助ける様々な機能を利用できるようになります。